プロフィール:リョウ・ナリサワとは・・・

<破天荒に過ごした学生時代>

東京都板橋に生まれる。

小学時代、天文学に興味を持つ。
1人読書に没頭し、回りからは変わり者と呼ばれていたが、
そんな事を一切気にせず、ひたすらのめり込んでいた。
ただひとつ、小学校の校庭で爆弾を作ろうとしたため、
遊びとはいえ、先生に強く叱られたことを覚えている。

中学校はお茶ノ水女子大付属中学校に入学。
その名の通り女子が男子より2倍もいる学校に入学し、
自分の好きな事を続けるためなら嫌われても気にしなかった
ところを変革し、自分の意識を変えて、社交的になろうと努力を始める。
その一つとして回りからの推薦で生徒会の副会長にも立候補した。

高校は都立冨士高校。
オーケストラ部に所属し、クラリネットを担当。
オートバイに惚れ込み、すぐに免許を取得。
気の合った友人とよくツーリングに行くのが楽しみだった。

勉強らしい勉強をまじめに専念した記憶は、
『東大合格』の目標を立てた高校3年の夏から。
夏休み中は朝から図書館に通い、良く勉強した。
センター試験導入前だったので、要領よく戦略的な得点稼ぎ。
その戦略が功を奏し、狙い通り東大に現役合格。

就職先も決まり、卒業を控えた大学4年生の夏に、
母親が癌で或ることがわかり、4か月の闘病の末、亡くなる。
成人を過ぎたとは言え、冷静でいる事も不可能な程悲しかった。
母が癌とわかった時、当時、内科医の標準的な医学書として使用されていた
『沖中重雄先生』の「内科書」を読破した。
そして、同時に絶望を味わった。

進行癌においての効果的な治療方法はないに等しいと書かれていたからだ。
西洋医学の限界を感じ、同時にこの瞬間から西洋医療に対し、大きな疑問が生まれた。

何とかならないのか?できないのか?
医療業界への不信や不満が芽生えたのはこれがきっかけだった。

<社会人・リョウ・ナリサワに安定の生活はない>

就職先は本田技研。
当時ホンダのアメリカ進出度は加速しており、この会社に勤める事で後に渡米しアメリカで仕事が出来ると考えた。
また入社したからには、将来は社長の椅子も狙おうと夢と野望を抱いたことを覚えている。
だが、入社後の現実の職場の環境や社内での展望は想像以上にひどいもので、人間の能力を伸ばすどころかこのまま会社にいると精神的に抹殺されると思う程だった。

西洋医学に疑問を持ち始めた大学時代からエンジニアの道から医学に進む道も考えた私は、少しでも早く経済的にも自立する必要があり、ホンダでの仕事環境は遠回りどころか夢を諦めないといけない状況と判断。

もともと「安定」という言葉に興味はなく、進歩しなければ生きていないも同然という思いは昔も今も変わらない。

ホンダ在職中に海外に履歴書を送付し、カナダの航空機メーカー、ボンバルデイエー社(当時はカナダエアー社)より内定をもらい、GW中に休暇をとって、面接と視察を兼ねてカナダへ。
就職先を決定して帰国。
ホンダでの従業期間は、わずか4年と3ヶ月だった。

新たな就業先となったカナダのボンバルデイエーでは全員夕方の5時になると家に帰らされる。
ホンダの時には平日の残業はもちろん、明るいうちに帰れる事もなく、週末も宿題を出されて、ほとんど休む暇なく仕事を強制された日々であった為、
正直、急に時間が出来て、困った程。
でもそのおかげで、大学院に行って勉強する時間が出来た。

日本の高校・大学時代にESSに属して、英語は得意と思っていたが、
カナダに来てその思いは打ち砕かれ自分の英語があまりにも通用しないことを痛感させられたので、克服するのに時間を費やした。
それだけではない。この時の勤務先の上司には徹底的に正式な英文の書き方を仕込まれたことが英語力克服に役立った。

このボンバルデイエーは4年在職し、
その後、アメリカのベルヘリコプター社に転職。
その時に今話題の輸送機オスプレイのエンジン回り設計に携わる事になる。

1991年には日本の精密機械メーカーがアメリカ支社を設立する事になり、スカウトされ初代社長に就任した。

アメリカでは、知名度の全くない会社を0から設立し、20億を超える売り上げまで成長させ経営を安定させるまでを指揮をとったことが私自身大きな自信へと繋がり、アメリカで起業することを決意。

1998年、サンフランシスコ・ベイエリアで会社設立。
半導体製造の工場に設置する搬送装置の製造メーカーで、
業界ではニッチなマーケットとはいえ、顧客は全世界の大手半導体メーカー。
その後、シアトル近郊に拠点を移し、順調に業績を伸ばし、現在に至る。

<ニュートラジェン設立、それは栄養ゲノム博士の誕生>

日本を離れて30年以上経った。
国籍もアメリカ籍に変えており、日本に再度住む事はないと思っていた時に人生を大きく変える出会いがあった。

それは日本の機械メーカーと共に取り組んだ共同プロジェクトの仕事の際に知り合った、名生早名恵と、石井恵美の2人の女性との出会いが、日本の現状を知る機会となり、同時に驚かされた。

それは自分が日常的に摂っているサプリメントが、日本ではアメリカと比べて余りにも割高だった事と、一日の推奨量の少なさである。

自分がまだまだ精力的に仕事やスポーツをこなせているのは、人間の体が動く仕組み=すなわち生化学を勉強したからと思っている。
今までのメカニカル(機械)エンジニアという職業よりは物理学が本領のため、理論的に人間の体の動く仕組みを学んだ結果、体の健康維持や修復には十分な栄養成分=サプリメントなしには考えられないという結論にいきついた。

サプリメント王国とまで言われているアメリカではサプリメント摂取は一般的であり、代替医療にも当たり前に取り入れられている。
当たり前だが、人間の体、生活、命を第一に考えられていて、すなわち栄養(サプリメント)は人間の生活に必要なものであるという認識があるからである。
なのに、日本ではサプリメントの価格が不必要に高いのと一般的にサプリメントに対しての認識度があまりにも低い現実に驚いた。

そして同時に、サプリメントなど不必要などというウソを医師たちに言わせ、不要で人々を不健康にする薬を自己の利益のためだけに大量に売りさばく医療業界への怒りを抑える事が出来なくなった。

創業への数々の条件が整い、
<株>ニュートラジェンを神戸を拠点に起業。
リョウ・ナリサワ58才にして、新たな挑戦が始まった。

現在は2足のわらじを履きながら、世界を股にかけてビジネス続行中。
もちろん多忙である事に間違いはないが、自身の研究成果でもある栄養摂取により健康にこなせている。
朝、サプリメントを飲み忘れるとてきめんに夕方以降のパワーダウンが激しいことから、サプリメントのお陰でどんなに多忙でもパワフルに仕事ができていることを身をもって実感している。

現在、サプリメントのパワーを日々体感しながら毎日を全力。疾走中。

<栄養ゲノム博士:リョウ・ナリサワの現在の仕事>

半導体製造メーカーのオートメーションシステム(搬送装置)の製造・販売会社である米国(およびマレーシア)のストラータスオートメーション社の代表取締役と日本において<株>ニュートラジェンの代表取締役。

機械メーカーの仕事は、自分は、メカが好きな事は勿論だが、自分の会社で製造した機械が世界各国の半導体の製造工場で活躍し、納品先には喜んでもらえているという自負はある。
ニュートラジェンの事業を始める前まではBtoBで、客先メーカーの専門家(技術者やその道の博士号を持っている人)と情報交換して他社の製品と比べて自分の会社の機械の優位性を説明すれば、納得してもらえて成約につながった。

一方ニュートラジェンのお客様は、一般のお客様。
サプリメントの反応、効果を直接、顧客から聞く事が出来る。サプリメントの効果を喜んでもらえているという生の声が聞けるのは、今までにはなかった喜びだった。

だがその一方で、サプリメントは理論的に出来上がっているのにも関わらず、理論的な話をすると生化学の域になり、難しい話と受け止められ話が進まない。

自分の話を受け止め製品の良さを理解してもらいたいのに、なかなか理解してもらえないという、新たな壁にぶつかった。
いかに簡単に、易しく、興味深く話の構成を組み立てていくか・・・。

今までの自分の仕事は、いかに設計内容を熟慮して、高度なレベルを組み入れて機械製造をしている事で、信用が高まり、成約につながったのに、それとは全く正反対のアプローチを学び、実践しなければ、お客様にわかっていただけない。

未だ、私にとっては大きな課題である。

回りからはしばしば、
「小学生にもわかるように内容を説明して欲しい」と言われるのだが、
どこか脳裏の片隅で、そんなレベルまで落として説明したら省略のしすぎだし、失礼ではないか…という思いが拭えずにいる。なかなかの苦労だ。

創業時に比べ、
「セミナーの内容が大夫わかりやすくなった」
という声を頂けるようになったが、それも【以前に比べて】らしい…。

自分の思いや理念を伝えなければ、ニュートラジェンのビジネスは前に進まない。

日々、このビジネスはどう自分の思いや知識を人に伝えるかという事でビジネスが広がっていく。

現在、色々な方々の知恵と工夫と方法を取り入れながら、お客様との会話や繋がりを増やす努力をしている。
特に癌と診断されて、医師から提示される治療方法や抗がん剤に疑問を持った人に対して、スカイプ通話での無料カウンセリングをさせて頂き、嬉しくも好評を頂いている。
患者様の力になりたいという思いはおそらく母の死が大きく影響していると思う。

このようにニュートラジェンでは、主に商品の開発と病気の方へ無料カウンセリングを担当。
生活の拠点は現在シアトルの為、日本支社とはTV電話によるミーテイングが日課。私自身は2〜3ヶ月に一度来日というスケジュールとなっている。

癌が見つかった後に、癌患者に寄り添う西洋医療はほぼ皆無。
あっという間に手術・抗がん剤治療のスケジュールが決められていくのに
恐怖感を持ち、駆け込み寺的要素にもなっている。

<リョウ・ナリサワの課せられた夢と野望>

【日本の医療業界を変える】
現在の医療業界は、人の健康や命を犠牲にしてまでも製薬業界の利益を守る事を優先させている。
製薬業界、医師会と厚労省の癒着の状況を知れば知るほど怒りが増す!

日本の医療保険として約40兆円が税金から捻出されている。

日本の国民保険の制度は、確かに国民保険の保険料を支払っていれば、アメリカに比べて、はるかに安価で病院で治療を受けられる。

だが、これにも大きな落とし穴がある。

〜製薬業界との落とし穴医療〜

当然ではあるが、厚生労働省からの認可がおりている薬しか保険の適用にならない。
薬の飲み過ぎは副作用があるので、短期間の服用ならまだしも、長期間になると体のダメージの方が大きい。
にもかかわらず、

  1. 1 医者に勧められている。
  2. 2 薬以外だとまるまる自費で支払う事になる。
  3. 3 保険適用の薬であれば、安く薬を購入する事ができるので、薬以外のものをわざわざ自費で買う気にならない。

という現実。

私が憤りを感じているのが以下の事。

  1. 1 国民が働いて収める税金の大部分は、人が元気になる為でなく、国民が薬漬けとなり、一生製薬会社のお客となって、却って死を早めるような間違った医療や薬の為に使われている事。
  2. 2 その恩恵を被るのがある一定の業界の人だけのシステムになっている。
  3. 3 またその業界の面々が、人助けを謳っている立場をとりながら、実は多くの人の健康を損ない早死にをさせている場合がほとんどである実態を世間一般の人には知らされていない事実。

この上記の事実を自分の命をかけても日本で啓蒙活動を残りの人生をかけてしたいと思っている。
まずは会社として知名度を上げ、世間が認めるだけの会社の体力をつける事が先決。

栄養と体のメカニズムを考えることで出来上がったニュートラジェンのサプリメントの普及をすることで、より多くの方に効果を体感してもらい、薬では治らなかった病気、それがたとえ癌であっても治るという事を多く証明する事が必要と考える。

私が住むアメリカでは、代替治療として単に栄養が薬に代わり、安価で簡単に多くの病気、特に癌の治癒に貢献し、ステージ4の患者で余命宣告されていても代替療法を選択した事で、15年後も普通に生活できるまでになっている事実と実績とデータを積み上げている。

栄養治療を推進する多くの著名な医者が不慮の事故で亡くなっているという事実は、恐ろしい。米国医薬業界が裏世界とつながっていて、都合の悪い研究結果を発表する人間を抹殺していることはほぼ明らかだ。

医学=西洋医学(しかない)という間違った認識がなされている現状から、
栄養・漢方という命を救える選択肢が患者に与えられるような活動に繋げていきたい。

★ 私がサプリメントを開発した理由

一言で言えば、
身近に愛する人がいつまでも元気で年をとって欲しいから・・・

体のメカニズムの研究を進める事で、健康を維持する為の体の修復作業には、適切な栄養が必要であると理解したからである。
若さも健康も細胞が全て。
特にミトコンドリアで体を動かすエネルギーを作る為に、適切な栄養を与える事で細胞が元気を保ち、また修復可能であるという事がわかった。

★ 皆が共感してくれています

近年、癌の患者さんが私の開発したサプリメントに大変興味を持ってくれています。
西洋医学に頼らず、本当の意味での治療を一緒にしています。

我々のサプリメントは、患者さんの為に必要なものである事を立証する事例は増えるばかりです。

もっと病気に苦しむ患者さんの為にも、知名度をしっかりとアップさせ、本物の治療と健康を提供したい。

★ 開発・研究は苦労の連続

開発自体は、アメリカで文献が多く存在するので、自分で体感した結果を
サプリメントの成分として、レシピにまとめて作成。

成分によっては、アメリカでは健康食品として一般業者でも扱えるが、日本では、その成分が医薬品扱いになっていて、医療品用途以外の取り扱いが許されず、サプリメントの成分として入れられない物もあった。
日本の製薬事情に振り回され、その都度同じ栄養素となる成分を探し、調合を繰り返した。

それ以上に苦労したのは製造する為の工場探し。

あまりに多くの成分数と量を調合した為、当初は出来ると言って見積書の提出まであった10社以上の製造会社が、試作品をつくる段階で製造不可となった。
ちなみに試作品まで進められた製造会社は、たったの2社。
最終的なレシピ作成後、実際の商品が出来るまでには、約1年かかった。

★ そして出来上がったサプリメント

苦労はあったものの出来上がりには満足。
それでも、販売後にお客様から

  • ・ 2種類のサプリメントの形状が酷似している
  • ・ 同じものでは?

とのご指摘あり、途中、BK9の形状を三角に変更。

★ 栄養効果による実績

実際に服用されているお客様や患者さんから頂いたサプリメントの効果報告は以下です。

  • ☆鬱病や引きこもりで部屋から出られなかった人が普通の生活に復帰
  • ☆脳梗塞で、足のマヒがひどく家族の助けがないと階段が上がれなかったのが自分ひとりで上がれるようになった。
  • ☆花粉症が治った、又は劇的に良くなった。
  • ☆腰痛が治った。肩こりが治った
  • ☆食欲がなかったが、食欲が復活し体調回復。
  • ☆抗がん剤で髪の毛が抜けたが、髪がしっかりとしてきた。
  • ☆抗がん剤の副作用が楽になった。
  • ☆アトピーでかゆかったのが治った。
  • ☆乾癬で温泉等に行けないほどひどかったが、ほぼ完治した。
  • ☆生理痛がなくなった。
  • ☆生理不順の解消
  • ☆顔の肌あれがなくなった
  • ☆更年期障害の症状が緩和された。
  • ☆寝起きが楽。
  • ☆寝つきがよくなった。
  • ☆パワーや集中力の持続時間が長くなった。
  • ☆大腸がんの術後が、術前より元気になった。
  • ☆偏頭痛がなくなった。
  • ☆低体温だったのが、体温が上がった
  • ☆痩せた
  • ☆化粧のりが良くなった。
  • ☆イライラする回数が減った。
  • ☆高血圧の薬をのまなくても良くなった。
  • ☆かぜをひかなくなった。
  • ☆病気をしなくなった。
  • ☆発達障害の子供で会話ができなかったのに会話が出来るようになった。
  • ☆便秘が解消された。

★ 相談者様と向き合って

悩んでいる相談者様の助けになりたい。
これに尽きます。

自分の存在が、多くの人々の直接の生活や健康を改善する事に役に立ちたいと常日頃から思います。
それだけに、役立てて喜んで頂けることに喜びと充実感を感じています。

栄養療法は、体を害することなく、人1人を救えるという事実。
このやりがいは、お金に代え難いものであり、私の使命だとも思っています。

★ 栄養を続けます

ビタミン・ミネラル・補酵素の補給なくして美容、健康の維持はあり得ません。健全に生き行くための必要不可欠なものです。

<栄養ゲノム博士として>

〜今後の展望や諦めない栄養力の追求〜

★ 栄養=ニュートラジェンのサプリメントは、人間のあるべき姿

人間のもともと生まれた時にあった栄養素は、悲しくも年齢とともに減少していきます。
減少する事で細胞が栄養不足になり、適正にエネルギー生産が出来なくなってしまうのです。
その結果、見た目の老化だけでなく、認知症や脳梗塞になってしまう人が後をたちません。
また失われていく免疫力が重大な病を誘き寄せてしまいます。
恐ろしい『癌』もその一つです。

減少してしまう栄養分をサプリメントで補うことで、ミトコンドリアで再び活発にエネルギーをつくり、体のパワーダウンを阻止します。

問題は、減少していく栄養分。
一見、栄養は日頃の食事等から摂れると思われがちですが、
残念な事に重要な栄養素の十分な量の摂取は、食物からだけでは不可能なのです。

★ 体は60兆個の細胞で出来ています。

逆を言えば、失われる栄養を補うことで細胞を元気にし、病をはねのけ、健康な体を取り返す事が可能なのです。